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ラブドールの漫画、そして社会的責任のnote、そしてこのnoteへの嫌悪と、まぁなんというかゴッチャゴチャである。

まず性的指向性的嗜好という言葉を私は嫌いなのだが、これは通俗では前者は先天的、校舎は後天的ということになっているが、そもそもそういう言葉ができる前は全ては異常性癖であっただろうに(カトリック的に)。

つまり本来「性」というのは労働から逸脱する行為として考えられてきた。酒もまた然り。つまり犯罪的なのだが。

しかし資本主義はそういうことをある程度許容してきた、というかカトリックも結婚を神に誓うみたいにさ。あくまで一番は神で次に婚約者です、みたいな。結婚した人間の性交でさえ罪だったわけで。

とまぁ、性的指向性的嗜好の違いなんてのはきっと「資本主義から逸脱するか/しないか」という方が本質的だろうと思う。資本主義には賛成です、このことはラブドール肯定派/否定派も認めざるを得ないでしょ?…おそらく。

だからまず性的なことはいつでも労働からの逸脱であったし、社会への加害性を持っている、が、子どもを作るということは労働力の再生産なので許しましょう、ってことになってるだけという前提が抜け落ちているからややこしい。


おそらく、労働のサイクルをスムーズにするための性処理の道具としてラブドールが認められるという未来は望めるけど 、その時にはもう最高の新自由主義社会だと思います。だから、そういう感じの最悪な世界になってて欲しいのですが。