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絵柄

といっても写実的なレッスンを受けてないから、つまり構図もないから表れてしまう、通称「形なし」の状態。

逆に藤井聡太みたいな人間の天才的な一手は「型破り」と、型をまず学んでなければスタートラインに立てないなと(ただひふみんが言うAIよりも天才的な閃きにも目を向けようみたいなのはあんまり好きじゃなくて、人間は将棋盤をひっくり返せることこそが人間にしかできない一手だと)思う。

そういうわけで私の絵柄も何か参考元でもあるのかと思ったら、ホシノ・ルリみたいなまつ毛を無意識に描いてたのかな?と。

話は変わるがルルナもそういう感じの「馬鹿ばっか」みたいなキャラクターであって欲しい。高飛車なキャラクターの孤独ほど愛おしいものはない。

あと、いのちの輝きくんに対抗して「人工物のくすみ」ちゃん概念を作ったもののデザインが決まらず(やっぱり四角形モチーフ?)悩む、描くかも。

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今日突如バズった存在「いのちの輝き」くん。大阪万博のロゴとして考案されたものらしく、グロテスクながらも愛嬌のあるのがかわいな~という感想。

そんな大阪万博ですが、サイトにその魅力を見にいってみると

・経済効果
イノベーション
・認知度向上
・クリエイターの発信の場所

私の嫌いなものの4倍役満で笑ってしまった。追い討ちをするようにモットーは人文主義っぽいのもツラい。



さて、このいのちの輝きくんの製作者は太陽の塔に影響を受けたということで、そのモットーもきっと踏襲してるはず(と、思いたい)。そんな太陽の塔が言いたかったことは「人類の進歩と調和」ということへのアンチテーゼだった。であれば今回のシンボルもそういう運命にあると思う。


まーつまり言いたいことは、多様で心身共に健康な生き方や持続可能な社会では本当の意味で「いのちが輝く」なんてことは起こらないわけです。いのちが輝くのは、それを賭けた時、つまり死に直面する時しかありません。

ロボット対ロボットの男の一騎討ち…報われない少女の百合…そういうものでいのちは輝くわけで、ぬくぬくと将来の分かってる計算された未来という中では輝かないわけです、、、多分。

いのちの輝きくんが様々なイラストに伝染してくのはまさにアメーバの細胞分裂みたいでかわいいと思う。あの目らしきものも全く違った方向をそれぞれ向いていて、意志が各々にあっても一つになれるみたいな暗喩?なのかどうか知らないけどさ。


そういうわけで生まれながらにしてテーマに抵抗しなければならない「いのちの輝き」くんとそれを無自覚にも拡散してくれる「オタク」達。

ただもう、この時代に死と直面するタイミングはなかなかないですね、コロナはそうだったかもしれないですけど。

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日記といっても、日々の感想など別にないのだ。悲しすぎる。というのも毎日本を読んだりアニメを見たりする体力はもう私にはない、という言い訳をしてなにもしていない。よって、日々の感想が高校卒業してからというものの徐々に消えていく。

大学で教授が言ってた、「批評というのは数をこなしていない人間はまずできないです、作品をなんでもいいから見てください」という言葉が重く響く。感想もそうだ、単調に同じことを繰り返しても喜怒哀楽に集約できる表現しか思い浮かばず言葉も単調になる。例外はいるけどそういうのは天才だからどうでもいい。

才といえば私は文才がない。他人に理解してもらいたい気持ちは凄いのに全く意味が伝わってないらしい(いや文章に何も書かれてないからそうなるのかもしれないが)。だが、文才があると権威が生まれてしまうのもまた事実だろう。そうには絶対ならないのだから安心である。という大義名分で文章構成がヘタクソなのをカバーすればいいのだ。


インターネットの言論など基本誰も責任をとってない。現実の延長線上にネットがなった今、逆にそういう文章は増加している。酷すぎる。だがそういう態度で日記を書いていこうと思う、どうせ誰も見てないのだから。